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福島第1原発事故 地元生まれ育ちの除染作業員、二つの思い交錯(毎日)

2013-05-12 22:09:40

除染のために刈り取った草の束を田んぼの中で見つめる高橋清さん=福島県楢葉町で、須賀川理撮影
除染のために刈り取った草の束を田んぼの中で見つめる高橋清さん=福島県楢葉町で、須賀川理撮影
除染のために刈り取った草の束を田んぼの中で見つめる高橋清さん=福島県楢葉町で、須賀川理撮影


「ここも俺が草を刈った。元に戻るかは分からんけども」。夕暮れの福島県楢葉町で、高橋清さん(52)が田を見つめながらつぶやいた。

高橋さんは除染作業員だ。東京電力福島第1原発から約5キロの同県大熊町の自宅を追われた。今は同県いわき市の仮設住宅で暮らす。「もう大熊に戻ろうとは思わない」「古里を元に戻してやりたい」。二つの思いが交錯する。

2011年3月12日、両親と妻(40)、長女(20)、次女(17)と6人で自宅を離れ、車を走らせた。数日で戻れると思っていた自宅は警戒区域に。山梨県の親族を頼り、同県笛吹市の市営住宅に避難した。

近所付き合いも深まり「山梨に住もうか」とも考えた。だが2人の娘は震災当時、高校3年と中学3年。いずれも福島県内で進学が決まっていた。震災2カ月後から娘たちと妻、両親は福島に順次戻った。「子供のそばにいたい」。仕事のため山梨に1人残っていた高橋さんも震災1年を機に福島に帰った。

祖父の代から山で働いてきた。震災前は双葉地方森林組合の職員として双葉郡内の森林整備に携わっていた。幼いころに転げ回った山や泳いだ川に抱かれた仕事が誇りだった。「美しい自然の魅力を残し、伝えたい」と県の森林インストラクターになって、子供たちが自然と触れ合う講習会を何度も開いた。

しかし、古里の山や田畑は放射性物質に汚された。職も失った。「自分ができるのは除染だ」と他の仕事を断り、昨年7月から楢葉町の水田で草刈りなどの除染作業に従事している。

重労働だ。だが「きついのは体より心」という。土をごっそりはぎ取った無残な姿の田や森。それでも手元の線量計が示す数値は大して変わらない。諦めにも似た思いがよぎる。「コメ作ったって、悔しいが子供らには食わせられねえもの」

地元の海や川、森を案内してもらった。人けはなく、海沿いの荒れた田にはコンクリートのがれきや車が流されたままだ。その脇には除染で削り取られた土砂の袋が山積みになっている。

志を果たして/いつの日にか帰らん/山は青きふるさと/水は清きふるさと

唱歌「ふるさと」のこの一節を聞くのがつらい。「山の水は飲めなくなっちまった」。目元に光るものがあった。【春増翔太】