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麻生太郞の「ナチス発言」の真意とコンテクスト(世に倦む日日) ナチス肯定は明らか 「正体」を表した

2013-08-04 20:43:22

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asonn20130801a1a-870x580麻生太郞のナチス発言について、昨夜(8/1)のTWでも述べたが、趣旨は明らかにナチスを肯定するものだ。この点、日本のマスコミ報道は、朝日も毎日も、曖昧な認識と判断でお茶を濁して逃げている。麻生太郞は、昨日の撤回会見で紙に書いたコメントを読み上げ、「真意と異なり誤解を招いた」だの、「ナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえている」だのと釈明をしたけれど、これは真っ赤な嘘だ。

7/29の集会での発言の真意は、まさに、ナチスがワイマール憲法を無効化した手法に倣って、改憲に国民世論の抵抗がない状況を作り、瞬殺のトリックで現行憲法を変えてしまおうと言っている。民放テレビ(テレ朝、TBS)の報道では、7/29の麻生太郞の話の録音が流されたが、「(ナチスの)あの手口に学んだらどうかね」と言ったところで、会場に詰めかけた右翼がドッと沸き、大きな笑い声が起きて盛り上がっている。つまり、ここで狙いどおり「受け」を取っている。

 

麻生太郞の真意が伝わった瞬間であり、ナチス肯定のメッセージの発信と受信が、プロトコルが合致し、同期がとれ、会場で共鳴し響き合った場面である。右翼の聴衆からすれば、喝采を送るべき「麻生節」の炸裂であり、副総理という公的立場が負うリスクを踏み越えて、麻生太郞が過激な本音(本心)を吐露してくれたことに歓喜し、共感の反応を「受け」で返しているのだ。


つまり、この7/29の会場で、発信した権力者と受信した右翼は、後で問題になる暴言の放埒とそれの歓迎と興奮の形で、互いの同志たるを確認し合ったのである。この麻生太郞のナチス発言の真意を理解するためには、何より、この7/29の都内のシンポジウムの性格と目的と、そこで何が議論されたかを知ることが必要で、その事実(国家基本問題研究所による月例会)こそが「ナチス発言」の真意のアウトラインを提供するものだ。

 

結論から言えば、麻生太郞も、シンポジウム演壇に並んだ右翼の大物衆(櫻井よしこ・西村慎吾・笠浩史)も、会場に参加した右翼も、同じ思想の持ち主であり、ナチスを肯定する者たちなのである。ここでのコンテクストとは、まさしく現行の日本国憲法をワイマール憲法の運命に擬えらえた認識と野望の表明に他ならない。日本国憲法をワイマール憲法のように扼殺しようと決意を誓っているのであり、その政治を担う主体は自分たち(右翼)で、つまりは、自分たちはナチスなのだと結社の符牒を示して交歓し陶酔し合っている。

 

麻生太郞が、長々と(無知による間違いだらけの)ナチスとワイマール憲法の歴史を披露しているのは、結社の本旨と目標を隠語的に説き並べている宣命だ。その暗号のコード進行が、隠語だけだと退屈なので、「あの手口に学んだらどうかね」という過激なフレーズで禁忌を破り、結社本来の猛毒の政治性を公然化させ、ギラつかせ、悪魔的衝動を噴出させているのである。

 

要するに、「俺たちはナチスなんだよ」と正体を宣言しているのであり、ナチスの手法を見習って、国民多数を抜き打ちで騙すようにして、巧妙に、かつ素早く、改憲を遂行するのだと戦略を語っている。それが正確なコンテクストだ。撤回コメントで釈明しているところの、「私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的に捉えていることは、私の発言全体から明らかである」というのは嘘で、主張として客観的に正当と認められるものではない。麻生太郞は、改憲は静穏にやらないといけないと言っている。asob0090336_1553779

 

喧騒の中で行ってはならないと言い、論争を重ねて対立の熱が高まったり、国論が割れて緊迫した中で決定するプロセスはよくないと言っている。ナチスが民主主義のプロセスの上でワイマール憲法を停止させたように、国民にとって、いつの間にか知らない間に、一瞬で日本国憲法が変わっていたというような、そういう改憲の図が好ましいと言っている。7/29の集会でのナチス発言のコンテクストでは、ナチスは静かに「改憲」(=ワイマール憲法失効=全権委任=独裁)を行った主体であり、その重大な政治転換を実行するに際して、面倒な喧騒を差し挟むことなく、手際よく速やかにやったという点において、麻生太郞にとっては評価すべき有能優秀な政治権力なのだ。だからこそ、その手口に学んだらどうかという着想と提案が結論になるのである。麻生太郞の撤回コメントと、それを強引に正当化する右翼は、7/29のコンテクストを全く逆の意味にスリカエて捏造している。

 

8/1の撤回コメントの釈明でのスリカエの要点は、ナチスの表象を、暴力的・強権的にワイマール憲法を失効させた悪の勢力という世間常識に被せている印象工作だ。撤回コメントのコンテクストでは、一般常識のナチス論に依拠した論理に変えている。7/29と8/1では言説の立場設定を180度変えていて、姑息かつ狡猾にナチスの意味づけをスイッチしている。

 

7/29の右翼の仲間の前では、ギラギラと猛毒の牙を剥いて見せ、俺たちはナチスと同じなんだよと、秘密結社的な不穏な信仰告白を漏らしながら、国際社会から批判を受けて、8/1に釈明するときは、一転してナチスを悪だと否定する常識人の顔(ポーズ)に戻るのである。ナチスの意味が変わり、ナチスがワイマール憲法を失効させた政治の意味が変わっている。これが、今回の捏造工作の内実であり、欺瞞の釈明手法の真相である。

 

ただ、付言すれば、そもそものところで、麻生太郞が7/29の集会で得意気に喋ったナチスとワイマール憲法の歴史の話に誤りがあり、中学生以下の論外な無知があり、それが問題を混乱させ、コンテクストを整理する際の阻害要因となっている。麻生太郞の呆れるほどの無知と愚劣が、言説の客観化を手間取らせ、今回の件の曖昧化と幕引きに好都合な条件を与えていると言える。ネットの中は、例によって麻生太郞を擁護する有名無名の右翼のTWで溢れかえり、右翼巨頭の青山繁晴のデマ・プロパガンダが狂ったようにコピペ散布されている。

今日(8/2)の朝、TBSの朝ズバで与良正男と吉川美代子がコメントするのを見たが、「この釈明では国際社会には通用しない」という中途半端な批判に終わっていた。腑抜けの朝日と毎日は、国際世論の様子見が精いっぱいで、自ら正面から麻生太郞の暴言を糾弾して罷免させようという意思を持っていない。「この釈明では国際社会には通用しない」という指摘は、言い換えれば、国内では十分に通用するという意味だ。麻生太郞のナチス発言を非難しているのは、中国や韓国やユダヤ人人権団体であり、自分自身(与良正男・吉川美代子・恵村順一郎)はこの政治の批判者ではないのである。他人事なのだ。

 

TWで書いたとおり、その気になれば、マスコミは簡単に麻生太郞を追い詰めて首を獲ることができる。(1)ジェラルド・カーティスの反応をテレビで流せばいい。(2)キャロライン・ケネディに接触すればいい。(3)国務省のサキに会見で質問してコメントさせればいい、(4)ナンシー・ペロシとヒラリー・クリントンにインタビューすればいい。それだけで、麻生太郞の辞任は決定的だろう。(1)-(4)を首尾よく行い得て、それに続いて、安倍晋三と菅義偉のドタバタ対応やら、ABCとBBCのニュース報道やら、ニューヨークタイムズとワシントンポストの批判記事があれば、1か月(9/6-7)後のG20に麻生太郞は出席できない。国内で右翼が宣伝扇動するデマとは全く逆に、欧米の視線は事態を正確に把握している。東京の特派員たちは、麻生太郞も安倍晋三もネオナチの極右である事実を知り抜いている。

 

彼らは、日本の政権右翼が、ルペンと同じナチスに同調する一派だという思想的事実を押さえていて、それが国際政治全体にとってのっぴきならない非常事態だという懸念を持っている。日本が1930年代のドイツの再現となり、戦前の暗黒と侵略に戻るのではないかと真剣に危惧している。日本の右傾化や極右化の現実は、もはやリベラルなジャーナリズムの視点からは、放置できない、一線を越えた異常で深刻な出来事なのだ。

 

一線を越えたと言えば、昨夜(8/1)のNHKの7時のニュースと9時のNW9で、この問題を全く放送しなかった異常には寒気を覚える。報ステはトップニュースだった。当然だ。世界中から注目が集まっている問題なのだから。国民は知らなくてはいけないし、知らされなくてはいけない。チェルノブイリの事故を国内で報道しなかったソ連を思い出す。NHKには官邸から指令が出て、箝口令が布かれたのだろう。今はNHKだけだが、いずれその報道管制と言論統制が民放に及び、新聞社とネットに及び、自粛だけではなく法制化され、違反すれば逮捕されて投獄という最悪の展開になるに違いない。

 

欧米の心ある市民は、今、少しずつ東アジアの社会と思想のフェーズが変動していることに気づいているだろう。日中間の対立と紛争について見れば、中国の方が正論だと感じ始めていると思われる。日本と中国と、どちらが民主主義と市民社会の国なのか、その印象が変わり、これまでの観念を修正しているはずだ。ここでナチスの問題が出て来たことは、とても象徴的で、民主主義と市民社会の先進国だった国で、国民が発狂してファシズムの全体主義となり、周辺諸国に侵略戦争を仕掛けるのである。

欧州の人々は、自らの歴史を踏まえて複雑で怪訝な思いで、嘗てはリスペクトの対象だった優等生国の日本を見つめていることだろう。

 

 

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