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失敗に終わった政府の「原発世論操作」(FGW)

2012-08-28 14:52:30

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政府が「国民的議論」と銘打って全国で展開したエネルギー環境会議の世論調査の結果を巡り、政府の迷走ぶり、もっといえば「無能ぶり」が浮き彫りになっている。原発比率をゼロから、15%に誘導しようとした世論操作は失敗に終わった。

 

【3つの選択肢と3つの世論調査】

政府のエネルギー環境会議は審議会の意見を踏まえ、「原発比率ゼロ」「同15%」「同20~25%」の3つの選択肢を国民に問うプロセスを自ら設定した。パブリックコメント、意見聴取会、そして討論型世論調査(DP)である。

通常の政策選択であれば、パブリックコメントの募集とそれへの回答で、「民意」を踏まえたことにするのがこれまでの官僚的手法だ。ただ、東京電力福島第一原発事故の影響を踏まえた国民的議論が続いていることから、全国10か所での意見聴取会で直接、民意を聞いたうえで、新たな手法であるDPで国民の理解を深める――という念入りのプロセスをとった。

結果は、パブリックコメント87%、意見聴取会で68%、討論型世論調査(DP)でも46.7%が「原発ゼロ」を選択した。段階的にゼロ意見は減ってはいるが、いずれの調査でも最大多数を占めたことから、「ゼロ以外の選択は難しい。誤算だった」との声が政府内部からもあがっているようだ。

 

【「国民は無知」を前提とした政府シナリオ】

実は当初の政府のシナリオは、いわば「国民は無知」との評価に基づいて組み立てられていたとみることができる。毎週、首相官邸前に大勢の普通の国民が詰めかける状況から、「国民は感覚的、感情的に原発ゼロを選択している」との理解が政治家・官僚そして専門家と称する人々の間にあったと思われる。

したがって、通常のパブリックコメントで「ゼロ」意見が多数を占めるのは仕方がない。しかし第二段階の意見聴取会では、感情的ではない「専門家」らも意見を言えるので、数の上でゼロ案が多くても、論理的、冷静な意見として一定の「原発維持」の意見がクローズアップされるはずだ、との思いがあったのではないか。

意見聴取会には、電力会社の担当者が加わっていたことが判明、物議をかもした。単に一市民として彼らが意見表明しようとした、との事後説明を信じた国民はほとんどいなかったのではないか。国の意見聴取会での電力会社社員の意見表明は、九州電力などで起きた県主催討論会での「やらせ」問題とそっくり同じ構造だった。

一部に、「電力会社の社員も市民だから意見を表明する権利がある」との議論もあった。だが、これは明らかに間違った論法だ。エネルギー環境会議で問われているのは、電力会社の発電において原発をどう扱うか、という電力会社の経営そのものに関わる問題である。つまり、電力会社の労使はともに当事者である。当事者が、一般市民と同じレベルでの意見表明をするような意見聴取会では、理解を深めるどころか、かえって反発を招き、誤解を助長することになってしまう(実際、そうなったのではないか)。

 

【上から目線の討論型世論調査】

もう一つのDPも誤算だった。同制度については、すでに本欄で指摘しているので、制度的な問題はそちらを参考にしてもらいたい(http://financegreenwatch.org/jp/?p=13304)。

米国で開発された同制度は「意見集約せず、理解を深める」というキャッチフレーズだ。意見の異なる人同士が、膝つき合わせてグループ討論を展開することで、お互いに相手の意見に対する理解が深まり、感覚的、感情的な意見が修正されて、より合理的な意見形成ができるという流れだ。この考え方のベースには、意見対立は「感情によって支配されている」という認識があり、それを是正するには、「対立より熟慮」の場を提供すればいい、との理解になっている。

もう少しわかりやすく説明すると、「原発ゼロ」論は感情論で、国民が「無知」だから全否定のゼロに傾斜する。ちゃんと説明してあげれば理解が得られるはずだ、との考えが背景にある。いわゆる「上から目線」である。

ところが、この「目線」が完全に誤算だったのは、DPでの原発ゼロ派は、パブリックコメントや意見聴取会よりは減ってはいるが、全体の中では、なお最大多数意見であるうえ、DPに参加前と参加後を比べると、「理解が深まって、ゼロ派が減少する」はずが、逆にゼロ派は参加前の33%から14ポイントも増えて47%と過半数近くに増えたことである。

つまり、熟慮した結果、「原発はゼロが望ましい」と意見を変えた人が原発ゼロ派の5割近くにもなったわけだ。この結論からは二つのことが言える。

 

【際立った「政府の無能ぶり」】

一つは、DPという制度が、実態を反映できない不完全な制度であるということ。もう一つは、地域に高速道路のインターチェンジを建設する場合の賛否の理解を深めるなど、利害関係が直接的で、影響の範囲が限られているテーマなら適用可能だとしても、原発のように安全性の確保が不明確で、全国いや世界中に影響が及び、自分たちの世代だけでなく次世代にも責任がある場合、「知れば知るほど、疑念が深まる」ことになる。

いずれにしても、あえて政府自らが演出した「民意」を問い、是正するプロセスが、逆効果となったことは、「国民が無知だから、理解させよう」という傲慢な政府の姿勢をことさら際立たせる効果だけは発揮したといえる。

政府は世論調査の検証会議を開いた。そこで一部の専門家と称する委員たちから、「原発ゼロ支持も男女比や世代比で偏りがある」「若い世代は原発維持派が多い」などの意見が表明されたという。結論が思い通りでないと、自らの世論調査の評価を下げようと、懸命になっているように映る。この国は「国民が無知」なのではなく、「政府(とその取り巻き=御用学者やマスコミ等)が無能」であることがますます明らかになっていく。(FGW)