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中央銀行は気候リスクにどう対応すべきか ~世界の動向を展望する~(白井さゆり)

2023-03-24 22:51:53

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写真は、日本銀行)

 

 気候変動は、気候温暖化にともなう物理的リスクとネットゼロ経済への移行に伴う移行リスクを通じて、企業に影響を与えつつある。こうしたリスクが高まると、それらの企業に投融資する銀行など金融機関は損失を被る可能性を意識しておくことが重要になる。たとえば、投融資先の温室効果ガス(GHG)排出量の多い企業が将来顧客を失って固定資産投資コストの回収が難しくなったり、債務返済能力の低下によって金融機関の融資が不良債権化したり、そうした企業が発行する証券価格が下落してキャピタルロスや評価損を計上しなければならなくなるかもしれない。こうした金融機関が多数存在すると、金融システムの安定性が脅かされる恐れもある。

 

 中央銀行は何故、気候関連の金融リスクに注目するのか

 

 金融機関の気候リスクに対する認識が高まるにつれて、中央銀行も対応を急ぐところが増えている。気候変動が将来の金融システムや金融市場に及ぼす影響が軽微ではないと考えられる以上、それへの対応を検討・実践していかなければならないからだ。

 

 同時に、世界の金融システムや市場が気候変動の観点からみてミスプライシングの状況にある点を見過ごすことはできなくなっている。現在でも化石燃料関連産業への資金配分が脱炭素・低炭素関連に対する配分を上回っており、まだ十分な資金が供給されているとは言い難い。炭素価格が低くGHG排出削減がもたらす社会的コストが十分反映されていないことが、気候変動対応が十分進まない要因だと考えられている。この問題が放置されたままであると、本当に必要なところに資源が十分行きわたらないため、カーボンニュートラルの実現が危ぶまれる可能性もある。

 

 そこで気候関連の金融リスクに対応するうえで、中央銀行や金融監督当局に期待が高まっている。「金融システムの安定」は、中央銀行法によって中央銀行の責務(マンデート)と位置づけられている。このため、金融システム全体の安全性の維持を目的とするマクロプルーデンス政策として銀行などを常時モニターしており、必要に応じて公開市場操作により資金供給を行い、金融危機の際には最後の貸し手となっている。一般的に、各金融機関の健全性はミクロプルーデンスを行う金融監督当局が行い、中央銀行は金融システムの安定性をみていくとの棲み分けがある。

 

 中央銀行・金融監督当局の気候変動対応についての基本的な考え方は、世界の中央銀行と金融当局が加盟する「気候変動リスクに係る金融当局ネットワーク(NGFS)」が策定するさまざまな報告書やガイドラインがベースとなっている。監督対象の金融機関に対して気候リスクへの理解とリスク管理の改善を促すうえでベストプラクティスを共有して役立ててもらうことを目的としている。信頼できるサステナブルファイナンス市場の育成も目指している。

 

 各金融当局に気候変動に関する国際的な気候関連財務情報タスクフォース(TCFD)ガイドラインや国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)の開示基準に沿った情報開示も推奨している。

 

 またNGFSは、「気候シナリオ分析」を実施するうえで用いる複数のシナリオを策定しており、各金融当局はそれを参考にして大手金融機関に対して気候シナリオ分析を実施し始めている。シナリオは大きく分けると、(i)秩序だって円滑にGHG削減を進めるシナリオ、(ii) 無秩序に移行を進めるシナリオ、そして(iii)気候政策が不十分で温暖化がかなり進むシナリオの3つに分けられ、削減目標や気候政策の厳格さ、セクター間の対応のばらつき、技術革新の進展度により全部で6つ用意されている。最も望ましいシナリオが(i)に含まれるネットゼロシナリオだが、ここでは欧州連合(EU)、米国、日本が2050年までにネットゼロを実現することが前提となっている。

 

NGFSキャプチャ

 

 気候シナリオ分析を行う中央銀行・金融当局は30を超えている。ただし金融機関に対して適切に気候関連の金融リスク管理を監督する体制を整備するには企業や金融機関のGHG排出量データの収集と分析評価手法の開発が必要なため、段階的に改善が進められている。また、欧州の中央銀行を中心にバーゼル規制において、どのように気候関連の金融リスクを反映させるかの議論や実践が始まっている。

 

 気候変動と物価の安定および金融政策との関係

 

 気候リスクは、金融システムや企業・家計の行動を通じて実体経済(GDPなど)や物価に影響を及ぼし、金融政策の波及経路にも影響を及ぼす可能性が高い。たとえば温暖化に伴い大自然災害が多発する地域の企業・個人、あるいはGHG排出量が多く削減戦略が不十分な企業についてはローン金利がそうでない地域と比べて高くなったり、社債発行における調達コストが上昇したり、株式発行もしにくくなるかもしれない。自然災害関連の損害保険料も高くなり、企業・個人はヘッジしにくくなるかもしれない。こうして金融環境が変化することで、消費や投資に影響を及ぼして金融政策の波及経路が影響を受け、金融政策の効果を発揮しにくくなる可能性がある。今後、気候変動の物理的リスクや移行リスクが高まるにつれ、市場が突然リスクとして認識し、リスクプレミアムが急騰する恐れもある。

 

 気候変動は、ローンや債券に対する信用リスク、証券や不動産価格の低下や変動の激化を通じた市場リスクや金利リスク、評判を失うリスクなどさまざまな金融リスクに関係している。気候リスクは中立利子率(景気に中立的な実質金利)を変化させる可能性もあり、金融政策の緩和度合いの判断にも影響しうる。脱炭素・低炭素に向けた投資が大きいほど中立利子率が上昇する可能性がある一方で、物理的リスクの顕在化によりインフラや生産設備・家屋の棄損、生産活動や労働生産性を下押しすることで中立利子率が低下することも考えられる。さらに大自然災害の激化が生産活動や物価に影響を及ぼす一方で、カーボンプライシングによりインフレ率を押し上げたり、変動を高める可能性もある。また中央銀行はさまざまな金融資産や非金融資産を保有しているため、自ら保有する資産に対する気候リスクの影響も考えていかなければならない。

 

 金融政策の目的は、中央銀行法の下で「物価の安定」と定められている。NGFSは金融政策運営においても気候リスクを考慮していくことを推奨しており、資産買い入れ、金融機関への資金供給、その際の担保要件などにおいて気候リスクをどう反映させるべきか検討していくことを期待している。

 

 多くの中央銀行は、(選挙で国民の支持を受けて選出された)政府がまずは率先してカーボンニュートラル目標に沿って気候政策を促進するべきであり、その下でマンデートの範囲内で気候政策を支援すべきとの考えで一致している。しかし、その下で行う具体的な金融政策手段についてはまだコンセンサスが確立しているわけではない。

 

 気候変動対応で世界をリードするECB

 

 ECBは、EU条約の下で気候変動対応は「金融の安定」と「物価の安定」の両方の観点で中央銀行の責務である、との立場をとっている。EU条約の第127条 第1項目では、(ECBとEU加盟国の中央銀行から構成される)「欧州中央銀行制度」の主な目的として物価の安定を掲げているが、この文章の後に「物価安定の目的を損なうことがない限り、EUの一般的な経済政策を支援すること」、「資源の効率的な配分を促進し、自由競争にもとづく市場経済の原則に従って行動すること」と明記されている。これらにより、金融政策では、物価の安定を第一義的目的としつつも、EUの気候政策を支援する義務があると解釈されている。さらに資源の効率的な配分や自由競争という表現が、金融市場のミスプライシングなどの不完全な市場を回避する義務があると解釈するECB幹部もいる。

 

欧州中央銀行((ECB)
欧州中央銀行((ECB)

 

 ECBの気候変動対応が際立っているのは、EUが気候政策やサステナブルファイナンス市場の育成において世界をリードしていることが大きい。とくにEUによる環境的に持続可能な活動を分類するタクソノミーの影響力が広がっている。世界ではサステナブルファイナンス市場の発展のために、30以上の国でタクソノミーや日本のようなトランジションファイナンスといった原則ベースの対応をしている。この内の3分の2の国ではEUタクソノミーを参照してそれをもとに固有の状況を反映させたタクソノミーを開発している。科学的根拠にもとづく閾値を明確にしたEUのタクソノミーは国際的に信頼されており、イギリスの専門家グループもイギリスが世界のサステナブルファイナンスのトレンドに立ち遅れないためにも、EUタクソノミーをベースに自国の状況も考慮したタクソノミーの開発を急ぐよう促している。

 

 ECBによる対応については、まず量的緩和によって過去に買い入れた社債については、現在再投資をしているが、2022年10月から再投資の際によりグリーンな資産の買い入れを相対的に増やす「傾斜アプローチ(tilting approach)」を採用している。

 

 具体的には、各債券発行体に対して気候スコアを付与してその高低で投資配分を行っている。スコアは①過去の実績、②削減目標、③開示内容の3つの基準を集計している。①はセクターごとにピアグループと比べた発行体のGHG排出削減の実績、および全ての適格発行体比べた削減実績、②は発行体が掲げるGHG排出削減目標に対する評価、そして③は発行体のGHG排出量の開示内容の質に関する評価である。①では相対的に削減率が大きいほど、②では目標とするGHG削減率が大きいほど、③では開示内容の質が高いほど、それぞれのスコアが高くなる。

 

 データ収集の進展度、モデルの開発、環境規制強化などに応じて定期的に手法を調整する予定である。2023年3月から償還期限が到来した社債の一部は再投資せずに保有する資産の削減を始めているので、再投資額は緩やかに減っていくがその範囲内で気候スコアを適用している。またECBは銀行に資金供給をする際の担保要件にも気候基準を導入する予定である。

 

 注目される動きは、ECBがユーロ圏の中央銀行とともに、気候データの収集や標準化を進めていることだ。今年1月に3種類の気候関連指標を公表した。第1の指標は、気候変動などサステナブルプロジェクトをファイナンスする域内のローン・債券などの「使途」に関する情報で、EUの気候関連の金融政策でも活用する。第2の指標は、域内の監督対象の銀行に関して投融資の炭素排出量を原単位で示した指標で、銀行が排出の多い企業へのファイナンス活動を通じてどの程度、移行リスクにさらされているかを評価する。金融政策や銀行監督における移行リスクの評価にも関係する。第3の指標は物理的リスクが域内のローン、債券、株式に及ぼす影響に関する指標で、洪水や山火事などの気候変動に由来する自然災害がもたらす影響を各国間、セクター間、自然災害の種類などで測定する。段階的に信頼できるデータを収集し、より効果的な金融政策と監督体制が整備されていくと期待される。

 

シンガポール通貨庁((MAS)
シンガポール通貨管理局(MAS)

 

 外貨準備資産運用で排出削減目標を導入するシンガポール

 

 国内の資産買入れに環境基準を反映させる中央銀行が少ないのは、量的緩和を長く実施する中央銀行が少ないこともある。新興国の多くは、金融政策の一環として、為替変動リスクを減らすために外国為替市場への介入が多いため、外貨準備を保有している。外貨準備の運用では流動性や安全性が重要な要件になるため米国など主要国の国債保有が多い。ただし、為替介入以外の目的で外貨資産を保有する中央銀行も多く、保有する債券や株式に環境基準を導入する中央銀行が増えている。中でもシンガポール通貨管理局は、外貨準備を中心とするポートフォリオに対して排出削減目標(スコープ1と2)を掲げた最初の中央銀行である。環境基準を外貨準備と国内資産に取り入れる際の決定的な違いは、前者が海外市場を支援するのに対して、後者は国内市場の育成に役立つことにある。

 

 気候に関するその他の金融政策としては、銀行などへの資金供給がある。一般的に、中央銀行は金融機関向けに数か月程度の短期の信用供給を行っているため、長期の資金供給をしている中央銀行は少ないが、グリーンやサステナブルな投融資をしている銀行に低金利で融資をしたり、担保要件を調整するなどの政策が考えられる。環境基準を取り入れる点ではブラジルが先行しており、次いで中国がGHG排出削減量の開示などを求めつつ、2021年11月から低金利融資を実践している。日本でも2021年12月から低金利融資を行っている。

 

 最後に

 

 金融政策に環境基準を取り入れる中央銀行がある一方で、躊躇する中央銀行もある。米国連邦準備制度理事会(FRB)が後者にあたる。FRBのジエローム・パウエル議長は今年1月の講演で気候政策は所得格差に影響するだけでなく、幅広く企業、産業、地域・諸国に影響を及ぼすので、米国政府がより適切に行えると主張した。FRBは銀行監督の責任があるため気候関連の金融リスクには対応していくが、金融政策で気候変動に対応することは、議会が制定する法律でのマンデートが明確に与えられないと難しいと述べている。

 

 こうしたFRBの判断の背景には、米国では気候変動が原因とみられる大自然災害が多発しているにもかかわらず、気候変動対応が政治的対立の争点となっていることがあると思われる。共和党が優勢な州で反ESGキャンペーンが進められており、ジョー・バイデン大統領が主導する気候政策に対する対抗姿勢が強まっている。昨年11月の中間選挙で、下院で共和党が多数となり、上院の民主党多数との間で「ねじれ」が生じたことが一層対立を激化させている。気候対応を進めようとする政府に対して共和党議員から強い批判が寄せられる一方で、気候変動対応を加速すべきとの批判する民主党議員も多い。こうした中でパウエル議長は中央銀行として中立の立場を取らざるを得ないと判断したとみられる。

 

  一般的に、物価の安定を目指して中央銀行が採用する主要な金融政策手段は、短期金利の調整である。このため政府が気候政策を積極的に進めない限り、金利はGHG排出量の多い企業にも脱炭素・低炭素を進める企業にも満遍なく影響を及ぼすことになる。このため、社債や対外資産の買い入れや銀行への資金供給で環境基準を入れたとしても、その効果は相殺されているかもしれない。したがって、各国・地域の政府が気候政策を積極的に推し進めていけば、金融当局が効果的な金融政策措置を講じて行き易くなると思われる。

 

参考文

 白井さゆり、2022年、『カーボンニュートラルをめぐる世界の潮流』 文真堂

Sayuri Shirai, 2023, “Central Bank Initiatives Essential for Developing Effective Sustainable Finance Markets,” Asian Development Bank Asia Pathways, March 2. https://www.asiapathways-adbi.org/2023/03/central-bank-initiatives-essential-for-developing-effective-sustainable-finance-markets/

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白井さゆり(しらい さゆり)慶応義塾大学総合政策学部教授。アジア開発銀行研究所客員研究委員兼サステナブル政策アドバイザー。コロンビア大学経済学博士。元国際通貨基金(IMF)エコノミスト。2011~16年日本銀行政策委員会審議委員として金融政策決定に関与。