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写真で見る、7カ月たった被災地(日経BP)

2011-10-26 16:26:44

石巻市も壊滅的な被害を受けた。草が生えていることだけが、時間の経過を感じさせる


震災から7カ月以上が経過した。多くの人が復旧・復興に汗を流し、片付けは進んでいるものの、東北の海岸エリアにはまだ震災の爪跡が生々しく残り、何もない土地が広がっている場所も多い。しかし、筆者を案内してくれた仙台市在住の知人、Nさんは言う。「(家が流されて何もなくなってしまった土地に)草が生えているのを見ると、少しホッとする気がする」。

 被災地を訪れたのは2011年10月9日~10日である。岩手県陸前高田市から仙台市の南、名取市のあたりまで回った。被災地で頑張る人たちの間には疲労感が広がり、被災地以外の場所では、復興に対する関心が徐々に低下してきている。しかし、目をそむけても何も起こらない。復興はこれからなのである。被災地の今を、写真で紹介する。

名取市閖上(ゆりあげ)

何もない土地が広がる。ここは住宅地だったところだ。ここでNさんが「草が生えているのを見ると、少しホッとする気がする」とつぶやいた


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



がれきが“成形”され、目的のある開拓地のようにも見える



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



かつて、この上には神社があった。今では“観光地”になっているという。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  



観光バスで訪れる人たちもいる。「被災地に“観光”に来るなんて、と思う人もいるかもしれないが、そんなことはないと思う。観光でいい、ぜひ東北の様子を見に来てほしい」とNさんは話す。



 



あちこちで、田畑の中に船が転がっている光景が目に入る。





「がれきがまとまってきて、だいぶきれいになった」(Nさん)


信号機が落ちていた


南三陸町役場防災対策庁舎。


石巻市も壊滅的な被害を受けた。草が生えていることだけが、時間の経過を感じさせる
 


南三陸町~石巻

 陸前高田~名取市は、被災エリア全体からすれば、数分の1でしかないだろう。それでも、あまりの広さに改めて驚いた。

 普通の住宅地を走っていたはずが、突然、風景が、何もない草原になる。Nさんがボランティアで物資を届けたあるお宅の人は、「私のところはこうして家も無事で、普通に生活できていますが、そうでない方も多いと思うと…」と声を詰まらせた。坂の途中にあるその家から下を見ると、ほんの数メートル下からは跡形もなく流されて、何もない土地が広がっていた。

 すべての人に「日常」が戻るのはいつになるのだろうか。冒頭でも書いた通り、復興はこれからが本番なのだと、改めて気の引き締まる思いがした。

南三陸町役場防災対策庁舎。津波がきたとき、どの部分につかまっていたかで明暗が分かれたという


陸前高田~気仙沼


 

車中から。突然何もない荒野が。「こんなに海から離れた山の中まで…」というところまで、津波が襲った。


大きな船が道をふさいでいる


建物が並んでいた場所も、今は“沼”だ


古い木造家屋は流されたが、鉄筋コンクリートの建物は骨子が残っている


地盤がだいぶ低くなっており、建物が冠水したままになっている。こうした地盤沈下を起こしている地域は少なくない


建物も道も跡形がなくなり、地図も役に立たない。唯一、目印となったのがスーパーの建物だ
http://www.nikkeibp.co.jp/article/reb/20111019/287926/?ST=rebuild